ORCAの見据える未来


2001年7月

文責: 安陪隆明


 2001年1月23日、日医及び日医総研から仮称ORCA(進化型オンラインレセプトコンピュータシステム)プロジェクトが発動されて、早くも半年がたった。「本当にこのような凄いプロジェクトが動くのだろうか」と心配したが、予定スケジュールの遅れこそあるものの、ワンステップ、ワンステップ、確実に仮称ORCAプロジェクトは進んでいるようである。今、どこまで進んでいるかということは、

http://www.orca.med.or.jp/

 を見れば、きちんとわかるようにもなった。

 しかし、日医及び日医総研が動かすプロジェクトの中で、この仮称ORCAプロジェクト程、誤解されたり、いまだに理解されていないプロジェクトはないように思われる。そして、誤解に基づく的外れな批判や中傷が少なくないことも確かである。仮称ORCAの目指すものについて、ここでまとめておきたい。

仮称ORCAは単に安いレセコンを提供する計画か?

 仮称ORCAについての理解は、「日医総研がレセコンソフトを作って無料で配るそうだ」という程度のものが一般的であろう。ひどい場合にはそれが「無料でレセコンが買えて使えるようになる」という誤解にまで繋がっている場合がある。表面的に見れば確かに「無料のレセコンソフトの配布」ということになるのであるが、ではそれだけが仮称ORCAの本当の目的なのであろうか? また、こういう理解しかされておられない方から、「何故、Linuxベースのレセコンなのだ? Windowsベースだったら自分でいろいろと操作がしやすいのに」という批判をされることまである。確かに仮称ORCAが、単に無料だったり安かったりするレセコンソフトを日医会員に配布するだけの計画なら、LinuxベースにするよりもWindowsベースにする方が良いのは言うまでもない。実際、日医総研は介護保険の意見書作成ソフトについては、Windows版とMacintosh版のソフトを会員に提供している。しかし、「何故、Linuxなのか?」 実はこの点から考えて欲しかったことなのである。本当の仮称ORCAの目的が理解されたなら、「何故、Windowsベースではないのか?」という批判が出てくる余地など実はないのである。

レセコンの本当の問題点は何か?

 ここで現在のレセコンが抱えている問題点をあげてみると、レセコンに対する不満の大きなものとして、

  1. 現在の機種に不満なので、他メーカーの機種に乗り換えたくても、データの移行が困難である。
  2. 一般の数十万円のパソコンとたいして変わらないように見えるのに、数百万円もして、割高感が強い

 という2点があげられるであろう。ちなみに(1)が原因になって(2)が生じているとも言える。もし簡単にデータ移行できるなら、より安くてより高性能でよりサポートの良い他機種に各医療機関はどんどん変えられるわけで、そうなると必然的にレセコンの値段は下がってくるはずである。すなわちアダム・スミスが言うところの「神の見えざる手」が働くわけだが、しかし実際にはレセコンはこの「神の見えざる手」が働かない世界の商品となっている。その原因はまさしく「データの移行困難」に起因するものである。各社レセコンとも独自のフォーマットによりデータを管理している。そのため(1)及び、それに起因する(2)の問題が起きてくるのである。

 それでは、各レセコン業者に「データの移行が容易になるようにフォーマットを統一してください」と頼めば、それは解決されるのであろうか? まず望み薄である。何故ならせっかく「独自のデータフォーマット」という「囲い込み」の中に顧客である医療機関が入ってくれているからこそ、医療機関は高額のレセコン費用を払ってくれているのである。その「囲い込み」をわざわざ取り払って顧客を逃すようなことを、レセコン業者が自らするであろうか? そんなことをするレセコン業者は普通存在しない。

 それでは我々はどうすればいいのであろうか? 各レセコン業者の「囲い込み」の中で高額の費用を払いながらずっとそこにいなければならないのであろうか? もちろん若干の苦労が伴うが、他メーカーの機種に乗り換えることは可能である。しかしそういう苦労をしても結局、ある「囲い込み」から別の「囲い込み」へ移動するだけにすぎない。

オープンソースビジネスモデル

 このようなデータやアプリケーションソフトウェアによる「囲い込み」は、別にレセコン分野に限らず、ソフトウェア産業全般の中で一般的によく認められる現象である。最もよく見られるのがWindowsというOSであり、ExcelやWordといったソフトについてである。私は「Microsoft依存症」と呼んでいるが、これらのOSやソフトがなければ仕事そのものまでできなくなってしまう企業は少なくない。依存症を起こしてしまうと、もはやメーカーの言いなりにお金を払わざるを得なくなってくる。

(ちなみにMicrosoft社の新しいOffice XPでは、絶対に一つのソフトが一台のパソコンにしかインストールできないコピー防止策が設けられたため、複数のパソコンでOfficeを使っていた企業は、これから莫大な費用を支払っていかないといけないものと思われる)

 このような形態のソフトウェアビジネスは、今までコマーシャルソフトウェアの世界では常識になっていた。しかしその一方で、これとはまったく違うソフトウェアビジネスの形態、いわゆる「オープンソースビジネス」と呼ばれるものが、今どんどんと伸びてきている。

 例えば、サーバを置く企業や組織がどんどん増えてきている中、オープンソースで無料であるLinuxというOSを使用する企業や組織は少なくない。Linuxは信頼度が高いとはいえ、あくまでオープンソースで無料であるから、それで問題が起きたときは、採用した企業なり組織なりが自分で責任を持って対処しなければならない。しかし、それでは大変だ、というわけで、代わりに責任を持って運営するメンテナンス業者が出てきたのである。これにより、コマーシャルソフトウェアを購入するよりもはるかに安い金額で、安心してLinuxをサーバに使うことができるようになった。その一方でメンテナンス業者の方は、ソフトウェアにお金を払う経費を浮かし、自分達の持つ高い技術で直接利益を得られるようになった。もちろん顧客がそのメンテナンス業者を気に入らなければ、他のメンテナンス業者に切り替えることは比較的容易である。オープンソースという中身の見える物を使っているので、メンテナンス業者は交換可能な存在となり、メンテナンス業者間で「より安く、より質の高いサービス」を目指す公正な競争が生じることになる。すなわちアダム・スミスが言うところの「神の見えざる手」が働く世界となっている。このようなオープンソースビジネスは、顧客にも、メンテナンス業者にも、どちらにも高い経済的メリットがあるため、このような形態のビジネスが現在どんどん伸びているところである。

仮称ORCAとオープンソースビジネスモデル

 さて仮称ORCAの構成を見ると、それを構成するパーツがことごとくオープンソースソフトウェアで揃えられていることに気が付くであろう。データベースエンジンにはPostgreSQL、OSにはLinux、暗号部分にはGNU PGPと、これらはすべてオープンソースソフトウェアである。そして開発されたレセコンソフトそのものをオープンソースにすることが既に発表されている。厳密に言うと現時点でパーツの中でCOBOLのみがオープンソースではないのだが、これも本格運用時にはオープンソースのCOBOLに切り替えられる予定であるという。そうなると仮称ORCAを構成するすべてのパーツがオープンソースソフトウェアで取り揃えられることになる。

(さらに細かいことを言うと、本稼動時に、日本語変換IMとして、最も日本で人気のあるコマーシャルソフトウェアのATOKを採用する予定もあるという。ただしこれは本質的な部分とは関係のない交換可能なパーツである)

 何故、このように仮称ORCAはすべてオープンソースソフトウェアで取り揃えられているのであろうか?

 その理由は、日医総研が、現在のレセコン業界のビジネス形態をオープンソースビジネスモデルに切り換えようと画策したからであり、それにより「独自のデータフォーマット」という「囲い込み」から、レセコンを使う医療機関を開放することを狙ったためである。このプロジェクトが成功した場合、オープンソースのレセコンソフトウェアを使うことによって、レセコンソフトそのものは無料となる。そして有料なのは、パソコンというハードウェアの料金と、メンテナンス業者に支払うメンテナンス費用(また、その他ネットワーク費用やオープンソースのソフトウェアの媒体等の雑費)ということになる。メーカーが関与することには変わりはないが、従来のレセコンビジネス形態と比較すると、そこに「公平公正なサービス競争」が生まれ、より良質でより安いメンテナンス業者を選ぶ自由が生まれることになるのが、大きな違いとなる。すなわちレセコンの業界構造自身を再構築することになるのである。

 このことを理解すると「Windowsベースのレセコンソフトなら、メーカーに頼らずとも自分で操作設定できるのに」という批判がまったく的外れであることがわかる。Windowsベースであっても、それで自分でレセコンをメンテナンスできる医師などほんの一握りである。そうではなくて、仮称ORCAの目指しているものは、レセコンを使っている全医療機関の「囲い込み」からの開放と、コストダウンなのである。

 またこのようなオープンソースビジネスモデルへの転換はレセコン産業だけに留まらないと思われる。現在、日医総研は電子カルテを開発中であるが、これから伸びていく電子カルテ市場においても、日医総研はオープンソースビジネスモデルへの転換を狙っており、つまるところ日本の医療情報産業の形態の再構築の第一歩が仮称ORCAと言えるのである。

仮称ORCAとネットワーク

 以上が経済的な視点から見た仮称ORCAの一面であるが、ネットワークという視点から見た場合、仮称ORCAは日本の医療機関のネットワーク化を促進するという一面も持っている。平成13年7月7日に西宮市で開かれた第15回地域医療情報ネットワークシステム研究会で、日本医師会総合政策研究機構委託研究員の岡田武夫先生は、

「情報化とはコンピュータ化のことではなく、ネットワーク化のことである。当面はレセコンを作ることが目的になるが、目的はそれだけではなく『医療情報のネットワーク化』が目的である。ORCAではフレッツISDNのような常時接続のネットワークを前提としている。医療機関にとってネットワークは費用がかかるが、そのネットワークの費用は、医療機関にとっては必須であるレセコンの費用に組み込んでしまって、なおかつレセコン費用、TCOを低減させる。レセコン、電子カルテを含めた情報システムを作りたい」

 という内容の発表をされた。すなわち仮称ORCAの先に見えるものは、全医療機関がネットワーク化され、医療情報を交換、集積、解析できる、新たな日本の医学医療ネットワーク世界の幕開けである。もちろんこのようなことを可能にするためには、「個人情報保護」の問題に何らかのガイドラインを定めたり、Public Key Infrastructure(PKI)の整備を考えたりなど、越えなければならないハードルはいくつも存在する。しかし何はともあれネットワークが全医療機関にひかれなければ最初から話にならないわけで、仮称ORCAはその基礎的な部分の構築を目指しているとも言えるのである。

仮称ORCAの現在の問題点

 仮称ORCAはこのように壮大なプロジェクトであるが、これが本当に成功するかどうか、プロジェクトが発動されて半年経った現在でも、まだ予断を許さない状況にあると言えるであろう。例えば、メンテナンス業者が集まらなければこのプロジェクトは失敗するが、当然、今までの業界構造、仕事の形態を根本的に変えようという仮称ORCAに対して、従来のレセコン業者からの反発は強く、地方によってはなかなかメンテナンス業者が集まらない状態になっているようである。また従来のレセコン業者にとっては、レセコン部分をメンテナンスすることは得意でも、ネットワーク部分に強いとは限らない。このあたりが大きな障害になると、私は考えている。

 また、あまりにタイトでだんだんと遅れだしてきたスケジュールも問題であろう。本来なら6月に始まる予定であった本試験は、今年の7月と変更された上に、さらに実際には8月か9月になりそうな気配である。来年3月から本稼動の予定となっているが、これはまったく私個人の予想であるが、到底このようなスケジュールで来年3月に本稼動に入れるようなレセコンソフトが仕上がっているとはとても私には思えないのである。私のようにずっとソフトウェア産業を見ていて「ソフトウェア開発など遅れるのが常識」と思っている人間ならまだ良いが、「来年4月から無料でレセコンソフトが使えるようになる」と期待している人にはがっかりするような、未成熟なレセコンソフトのままである可能性が強いと私は予想している。この場合怖いのは「所詮ORCAというのは、安かろう、悪かろう、というレセコンなのか」と、誤解されかねないことである。ソフトウェア開発にはどうしても時間がかかる。ましてや、このようにまったく新しいビジネス形態が根付くには時間がかからざるをえない。仮称ORCAが成熟するためには、何年もの期間が必要であることを強調したい。

 このように問題点がないわけではない仮称ORCAではあるが、このような壮大なプロジェクトに日医及び日医総研が取り組み始めたことを大きく評価したい。そしてそれを是非応援していきたい。

(尚、以上の文章は先に日本医師会総合政策研究機構委託研究員の岡田武夫先生に御一読いただき、一部修正の上、当会報への掲載許可をいただいたものです。掲載を許可していただいた岡田先生に深く感謝致します)