安陪内科医院:院長の不定期エッセー

2007-10-10

タバコの魔力

卒煙支援や社会的禁煙運動に熱心な医師の中には、元喫煙者という人も少なくない。それどころか、元喫煙者の方が自分自身が卒煙に成功しただけに、卒煙したい方に話をしやすい、という良さがある。

さて外科医のA医師は、元喫煙者で10年ほど前からは禁煙され、今は「○○の列車内を禁煙にすべきだ」などの投書もされたりするほど社会的な禁煙活動に関心をもっておられる方である。今まであまりお話をする機会がなかったのだが、先日、ある会合で一緒になったことがあり、お酒を飲みながらタバコの話に花が咲いた。例えばA医師は外科医なので「手術で胸を開いたら、タバコを吸う人って肺が真っ黒なんですよ。あの真っ黒な肺を見てしまったら、タバコを吸う気なんてなくなりますよね」といったような話である。

ところが、話が進んでいくうちにA医師は、ぽろりとこんなことを話された。

「もうタバコをやめて10年になりますし、このままずっと吸う気はないけれども、もし自分が癌などになって、もうあと少ししか生きる時間がないとなったら、そのときは思いっきりタバコを吸ってみようと思うのです」

タバコをやめて10年にもなり、タバコで真っ黒になった肺も仕事柄よく目にされ、普段は社会的な禁煙活動に関心のある医師が、それでも死の間際まで来たら、思いっきりタバコを吸いたいという。

タバコには人を惹きつけるどれだけ強い魔力があるか、ということを、日頃の卒煙診療の中でさんざん見てきてわかっているつもりの自分だったが、さすがにこのときは意表を突かれて唖然とした。10年も吸わず、それどころか社会的な禁煙活動もされるくらいなら、タバコを吸いたいという気持ちはすっかり消えているはずだと私は思い込んでいたが、実はそうではなかったのである。A医師に対してマイナスやプラスの感情を感じるとか感じないかとかいう問題ではなく、ただただ「はぁ〜〜〜」と感嘆して声が出なかった。タバコの人を惹きつける魔力というものは、これほどまでに凄いものなのか、ということを再認識させられた。

実際、何年も吸わずにいる人でも、「いや、吸いたいよ」と仰られる方は少なくない。そういう方をみていると、「吸いたいかどうか」という気持ちの問題よりも、「今自分はタバコを吸いたくなっているけれども、でも今は吸わない」という行動が選択できるか、という問題の方が大きいのではないだろうか、とも考えている。

それにしても、卒煙支援の仕事をしていると、タバコが人を惹きつける魔力の凄さに「感嘆する」としか言いようのない思いを持たざるをえない自分である。


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