安陪内科医院:院長の不定期エッセー
2005-04-10
論理学や数学基礎論が導き出した有名な定理の一つに「ゲーデルの不完全性定理」があるが、この定理を発見したクルト・ゲーデルがアメリカ市民権を取ろうとしたときのエピソードは面白い。彼はアメリカ合衆国の憲法を論理的に分析して、「アメリカ合衆国の憲法は論理的に矛盾している」ということを発見した。審査官が「アメリカ合衆国は民主的だ」と言ったのに対し、彼は「アメリカ合衆国は合法的に独裁国家になりうる。私はそれを証明しうる」と、市民権の審査会で言い始めたのである。ゲーデルは論理学や数学基礎論については世界最高の頭脳の一人なので、確かに彼の言葉の方が正しかったかもしれない。しかしそんなことを審査の場で言っていたら市民権が取れるはずがない。彼の親友であり彼に付き添って審査会に来ていたアインシュタインは、それを聞いて慌てて話題をそらせようと努力し、なんとかゲーデルはアメリカ市民権を取得できたという。「憲法」という社会的に重要な論拠となる存在も、ゲーデルの目から見れば矛盾した存在でしかなかったわけである。
ちなみに今年2005年は、先ほどの話に出てくるアインシュタインが特殊相対性理論を発見した1905年のちょうど100年後であり、「特殊相対性理論発見100年記念」ということで、書店には相対性理論の啓蒙書が例年より多く並び始めた。私も中学生、高校生の頃は相対性理論の勉強に熱中していた一人だったので、懐かしくなって書店でそれらのいくつか読んでみた。特に「相対論の正しい間違え方」という本は面白く、私自身、高校生の頃からずっと誤解していたこともいくつか発見できて勉強になった。この本を読むと、相対性理論への反論は、きちんと科学的で傾聴すべきものも中にはあるが、大半が実はその本質を誤解しているレベルの低い反論をする人によるものが多い、ということがよくわかった。
「一般相対性理論」となると数学的にかなり難しくなってくるが、それと比較して「特殊相対性理論」で必要な数学は実はさほど難しいものではない。よく「中学生レベル」と言われるし、実際私も中学3年生の頃にはローレンツ変換式をこねくりまわして遊んでいた。にもかかわらず、未だに「難しい」という意見とか「誤解した反論」が多いのは、それが一般の人の既成概念を崩して考えないといけないからに他ならない。逆に言えば、一度自分の頭の中の既成概念を崩して考えれば、「特殊相対性理論」の勉強というのはさほど難しいものではない。しかし多くの人間はなかなかそれができない。だから「特殊相対性理論は難しい」「(レベルの低い反論の元での)特殊相対性理論は間違っている」という意見が未だに出てくるのだろう。
さてそういうアインシュタインも「パイプを吹かすことは、人事百般の問題において、とくに冷静で客観的な判断をくだすのに役立つ」などという言葉を残しているから、喫煙の害までは十分認識できていなかったらしい。ちなみにこの言葉は「ニコチン依存症という病態下では」という条件を付ける限りはまったく正しいことを述べている。人間、ニコチン依存症という「病気」になってしまうと、「パイプを吹かす」などというニコチンを摂取手段をとらなければ「冷静で客観的な判断をくだす」ことが困難になってしまうからである。WHO(世界保健機構)国際傷害疾病分類第10版(ICD-10)の言葉を引用すれば、
WHO(世界保健機構)国際傷害疾病分類第10版(ICD-10) 1993
F1.精神作用物質使用による精神及び行動の障害(アルコール、アヘン類、大麻類、鎮静薬又は催眠薬、コカイン、カフェイン、アンフェタミン、その他の精神刺激薬、幻覚薬、たばこ、揮発性溶剤、多剤使用及びその他の精神作用物質の使用による精神及び行動の障害を分類)
F17.たばこ使用による精神及び行動の障害
F17.2 .依存症候群:一連の行動、認知及び身体的現象。反復使用後に現れ、典型的にはたばこ摂取を強く渇望し、使用の制御が困難になり、有害な影響があるにも関わらず持続して使用し、たばこ使用に関して他の活動や義務よりも一層高位の優先権を与え、耐性が亢進し、時に身体的状態を示す。
ということなのである。つまりこれは同じ現象を、ニコチン非依存側から見るか、それともニコチン依存側から見るかの違いにすぎない。こういう議論をアインシュタインに言ったら、彼は「いや、どちらの立場も相対的にすぎない」と返答したろうか? などと妄想が膨れ上がってくるが、まあ早い話が物理学の世界最高の頭脳の一人だったアインシュタインも、さすがに医学には疎かった、ということになるのだろうし、当時の医学がそこまで喫煙の健康被害についてわかっていなかったということでもあるのだろう。
タバコの話をもう少し続けると… 禁煙治療に関わっていると、喫煙者がどれだけ自分がタバコを吸うことを「合理化」しているか、ということがよく見えてきて興味深い。以下は「タバコを吸い続ける言い訳」の「定番」的なものだが、
上記は禁煙治療に関わっている医師なら、一度は聞いたことがあるような「定番」的な「タバコを吸い続ける言い訳」であり、「定番」だからこそすぐに反論できる返答を禁煙治療医のほとんどは持っているのだが、それについてはここでは特にあげない。このエッセーではそれが主題ではないということもあるし、そもそもそういう「理屈」での議論そのものを禁煙治療の場に持ち込んでよいのか? という治療方法論上の問題もあるからであり、そしてその根底にあるものこそ、このエッセーでとりあげたかったことだからである。
上記のような「言い訳」に、医学論文まで出してきてきちんと反論しても、また次の「言い訳」が出てくる、という経験をした禁煙治療医も少なくないはずである。この場合「科学的論拠」を持ち出しても、相手はなかなか納得しようとしない。何故ならほとんどの人は「科学的論拠」によって考えたり行動したりしているわけではないからである。上記の「相対論の正しい間違え方」という本にも、論破されてもまた次々に別の反論をしようする人の姿が描かれているが、その根底にあるのは「根拠」や「論理」ではない。「こんなに自分の心の平安をもたらし、頭脳を明晰にさせてくれるタバコが悪いなどというはずがない」「高速に近づくと時間が遅れたり…などといった見たこともないようなことが起きるはずない」という「自己の経験」からの「既成概念」である。いったん自分の既成概念から離れ、もう一歩上のレベルを登れば、今までの既成概念を崩す、まったく違った風景が見えるはずなのだが、その既成概念からなかなか離れることができない。
そしてその観点から世の中を見渡してみれば、上記のタバコの問題のように、世の中には論拠のない考え方や仕組みがいっぱい存在することがわかる。しかし多くの人はそういう論拠をいちいち考えて行動しているわけではない。まず既成概念や感情が最初にあり、「論拠」と思えるものは、後から「合理化」して付け足したものでしかないことがほとんどである。にもかかわらず、多くの人はそんな自分を「しっかりとした根拠や論理に従っている」という幻想を抱いているのである。
ゲーデルの業績とも関連が深い、「集合論」を生み出した数学者: ゲオルグ・カントールは、「無限に関しては、次元というものには意味がなく、連続空間なら何でも連続体と同じだけの点をもつ」という結論を見い出したとき、こう言ったという。
我見るも、我信ぜず
自分は間違いなくこの真理を導き出した「見た」。しかしそれにもかかわらず、彼は自分が導き出した結論そのものを「信じる」ことができなかったのである。「論拠」というものを突き詰めると、結局、カントールのようになってしまうものなのかもしれない。もっとも、カントールにしてもゲーデルにしても、晩年は精神を蝕まれていったという。結局人間は、真の「論拠」よりも、自分の感情から後に出てきた状態を「合理化」して、それを「論拠がある」としなければ、なかなか精神の安定を保てない生物なのかもしれない。